- 真田宝物館 常設展示「真田家の歴史」・「大名道具」・「奥道具」
- 「真田家のはじまり」
- 真田氏の祖は東信濃の古くからの豪族海野氏であったといわれています。
- 室町時代中期頃には後の真田氏に通じる土豪がいたと思われます。
- 現在の上田市真田町地域を本拠地として、中世から勢力を広げていた土豪です。
- 1541(天文10)年の武田・村上・諏訪三氏の連合軍と、東信の名族海野(うんの)氏との対戦の時、
- 海野勢にあったのが真田幸綱(幸隆とも)とされています。
- この戦いは海野勢の敗北となり、幸綱は上州へ逃れます。
- 「武田家臣として」
- 遅くとも1549(天文18)年頃までには武田信玄に仕えることとなり、
- 「信州先方(さきがた)衆」として武田勢の先兵または参謀として活躍します。
- 特に東北信地方の大半が武田氏の手中に落ちたのは、幸綱に負う所が大きかったといわれています。
- 幸綱の長男・信綱(のぶつな)、次男・昌輝(まさてる)は長篠の戦いで共に討死にしました。
- 「武田家を離れて乱世を生きる」
- そのため、三男・昌幸(まさゆき)が真田家を継ぎ、その子信之、信繁(幸村)らと共に、
- 武田・上杉・北条・豊臣・徳川ら強豪の中で、時には従い、時には対峙し、遂には上田城を築いて,
- 東信濃随一の武将に成長しました。
- 昌幸父子は築城したばかりの上田城で、徳川方の大軍を2度にわたって撃退し、武門真田の名を天下に知らしめました。
- しかし、関ヶ原の戦いは徳川方の勝利に終わり、昌幸・信繁は高野山に幽閉されます。
- 徳川家康の天下平定により、二度と故郷の土を踏むことはありませんでした。
- 「松代藩主として」
- 徳川の臣下となっていた真田信之は家康から父の所領を受け継ぎ、上田を居城としましたが、
- 1622(元和8)年、松代への移封を命じられます。こうして真田氏による松代藩の治世が始まりました。
- 信之をはじめ歴代の藩主は、町づくりや産業振興に力を尽くす一方、
- 質素倹約を励行するとともに文武を奨励しました。
- 廃藩・廃城となる明治維新まで10代250年にわたり藩を治め、
- 風情と落ち着きのある現在の城下町・松代の礎を築きました。
- 真田邸 ワークショップ(体験工房オープン日) のお知らせ
- 真田邸内の三番土蔵では、紋切り遊び体験の無料ワークショップをおこなっています。
- 3月
- 1日(水)(10:00~12:00)
- 4日(土)(13:00~15:00)
- 15日(水)(10:00~12:00)
- 18日(土)(13:00~15:00)